再開発について

開発に至る経緯

はじめに

香川県の県庁所在地である高松市は、人口約42万人(平成26年1月現在)の地方都市です。国の出先機関なども多く、いわゆる支店経済の都市として、また四国の玄関として発展してきました。「高松丸亀町商店街」は、高松市の中心商業地区の真ん中に位置する全長470mの商店街です。有名ブランドを扱うブティックが多く、流行の先端を行くファッション性の高い商店街として、高松の商店街をリードしてきました。 また、丸亀町は開町以来、400年余りの歴史を誇る町です。丸亀町という町名の由来は、1588年(天正16年)に生駒正親が高松城築城の際、丸亀(現在の香川県丸亀市)の商人をこの地に移したことによると言われます。以来、高松城下(現在の玉藻城)の城下町として栄え、高松が本州と四国を結ぶ交通の要衝であったことで、自由で洗練された華やかな文化を育んできました。

400年祭をきっかけとして

丸亀町商店街は、地方の商店街として早くから、先進的な取り組みをしてきました。1972年には、モータリゼーションの時代を見据えて、町営駐車場の建設をするため、駐車場用地の取得に当たり「丸亀町不動産株式会社」を設立しました。町営駐車場の建設に限らず、将来的に不動産の取得を行う場合に備えてすばやく対応するため、意思決定が役員会で行える株式会社の形式としました。丸亀町では早い段階から地域の土地を有効にマネージメントする必要性を認識し、そのための試みを行ってきたのです。
一方で、アーケードのリニューアル、路面のカラー舗装、販促イベント、カード事業、清掃などのマネージメント事業はもちろん、ポケットパークやコミュニティ施設の建設など、商店街で考えられることはすべて取り組み、いずれも水準以上の成果をあげてきました。このような、時代を先駆ける取り組みが、現在の再開発事業の土壌づくりになったとも言えます。

1988年、丸亀町商店街は丸亀町開町400年祭を開催しました。時はバブルの絶頂期。高松の中央商店街の通行量も2006年(再開発ビルオープン前)の2倍近くもあった頃でした。
一方、全国的には中心市街地周辺での駅前再開発や郊外のショッピングセンター建設が次々と表面化し始め、高松においても地元スーパーによる郊外への大型店出店も始まっていました。108日間に及ぶ400年祭が大盛況の最中、「この賑わいがこれからの100年も続き、次の500年祭を迎えることができるのだろうか? 丸亀町はいろんな取り組みをしてきたが、100年先を見据えた時、もっと抜本的な改革が必要なのではないか?」という懸念が、振興組合理事長より投じられました。これが、この再開発事業の出発点となります。

盛大に400年祭が催されたものの、商店街の通行量には減少の兆しが見え始めていたのです。アーケード建て替え、路面のカラー舗装、個店のリニューアル、駐車場の増設だけでは、ショッピングセンターのように、回遊しながらゆっくり時間を過ごせる快適で魅力的な空間や施設になっているとは言えず、丸亀町はこのまま放置すれば競争社会で生き残ることができず衰退するという危機感が組合員にも生まれ始めました。
昭和63年 全盛期を誇った丸亀町開町400年祭
昭和63年 全盛期を誇った
丸亀町開町400年祭



「丸亀町開町400年祭」のパレード
108日に及ぶロングイベントで、
町は連日大賑わい

平成2年「丸亀町開発委員会」発足
そこで、青年会が中心となって再開発委員会を発足させ、他府県の商店街などの視察や調査を繰り返し、将来の丸亀町商店街のあり方について真剣に議論を重ね、レポートをまとめました。
丸亀町の課題から導き出されたことは、一定の共同化によってより合理的な土地利用を行い、ある程度の規模の商業床と魅力的な都市空間をつくり出す必要性、そして、商店街全体をひとつのショッピングセンターと見立て全体のレイアウトを考える中で、業種の偏りを正し適切にマネージメントすることの必要性でした。中小商業者が生き残るには、一軒一軒の個別の努力とともに、自分の土地を合理的に利用し集積のパワーを生み出していこうという結論に至りました。そして、都市計画としての位置付けを明確にし土地の権利調整を行うために、都市再開発法に基づく市街地再開発事業を実施することを、高松市の提案のもと決定しました。

昭和40年代の丸亀町
当時は最新だった鉄筋のアーケード
丸亀町は歴史的にも位置的にも高松の中心であり、市民にとっても重要なメインストリート。ここが衰退することは、高松市民が都市生活の核を失うことも意味します。本再開発事業は、単に丸亀町商店街だけの問題ではなく、高松の都市政策の上でも必要と判断されました。そこで、商店街のリーダーに、都市計画の専門家や学識経験者などが加わり、本格的な調査研究体制が組まれ再開発に向けての歩みがスタートしました。

そんな動きの一方で、時代の流れと共に高松も他のエリアと同様、周辺部での開発や郊外型ショッピングセンターの展開が加速的に進みます。400年祭で感じた懸念は1990年代後半になって誰の目にも明らかな現実となり、高松でも集客力のある拠点が分散し、商店街の通行量は大幅に減少をはじめ、売り上げも急速に落ち始めました。商店街には空き店舗さえ見られるようになりました。

この再開発は丸亀町商店街にとってまさに起死回生の事業です。「人が住み、人が集うまち」を目指すこの再開発事業は、高松の中心市街地が活力溢れる街に生まれ変わるターニングポイントです。この再開発事業により、丸亀町は大きく変わろうとしています。